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IKEAとNOKIAとH&M

まったくの誤解だったのかもしれないが・・・、
中学生だった頃の僕にとって、北欧のスウェーデンとは高度な福祉国家とか教科書に書いてあることより、フリーセックスの国として僕の中で妄想と期待が渦巻いていた。一体どんな国なんだろう・・・。そしてどんな・・・、フリーってなんだ・・・。僕の想像力は鍛えられていった。

それから十数年後、スウェーデン人の友人ができた。彼はまさに金髪青眼の絵に書いたような北欧美青年・・・、ここだけは僕の北欧に関する期待を裏切らなかったが、フリーセックスについては一笑に付された。彼曰く、確かに母国はそのことで有名なことは知っているが、日本のほうがよほどすごいぜ・・・と。まあそんなものかもしれない・・・。

10年近く前のロンドンに滞在している頃、特に気になったブランドとして、IKEA(スウェーデン)とH&M(スウェーデン)とNOKIA(フィンランド)というブランドがある。

この3つに共通することは、いずれもまだ日本上陸前の北欧の企業であるということ。そして安価でデザイン性も高いということ。
帰国後、しばらくしてIKEAとNOKIAが日本上陸を果たした。

ロンドンのIKEAは横浜と違い完全にワンフロアーで、横浜のそれよりゆったりとしたスペースが確保されている。まさにデザインの差異性のみが顕在化するような、フラットなシームレスサーフェス・・・ドゥルーズのような空間だ。デザインや商品のイメージ、商品のディスプレイに至るまでまったく同じ・・・、品数も同じくらいだと思う。

そしてNOKIA。こちらは言わずもがな・・・。

これらの企業のデザイン戦略の強さは瞠目する。そして展開する各国に合わせてデザイン戦略を変えてくるのではなく、自身のやり方やスタイルを世界各国にそのまま持ってゆく。これは自信のなせる業なのか・・・それとも自身を中心にしたブランド戦略が巧みなのか・・・。いずれにしても強い・・・。

グローバルなどという意味不明な言葉で、多様性や文化の破壊だと言っていてもしょうがない。このように世界が何かの元に収束していく事はある程度許容しなくてはならないのではなかろうか。

そう、歴史とはそういういろいろな考え方や差異が、どんどん縮まってゆく過程なのかもしれない。

必要に応じて・・・、または進化や発達の過程として・・・、小さな家族の集団が部族になり、小さな国のようなものになり、そして戦争や統合によって現在の大きな単位での国が出来上がってきて、今、国というものから世界へと統合しつつある。だから、様々な文化が統合されていくのも、進化であって悲観すべきことではないのかもしれない。

そして大事なことは、いくら統合しようともそれまでの集団の痕跡は必ず消え去らず残っていくものであり、つまり差異もまた統合とともに生き続けていく。

これが文化だ。文化は常に変化を許容し、変容するものだ。そう信じている。
今年の秋にとうとうH&Mが日本にやってくるようだ。売上高は1兆6000億円。ユニクロが4500億円だから・・・。

とりあえずH&Mの今後が気になるところだ。

今回はいつもに増して、本気でどうでも良い話になってしまった・・・。