Column

デザインのこと

日常の生活では素通りしてしまうような気にも留めないデザイン、それは窓から見える風景だったり、いつもの通勤路の街空間だったり、聞きなれた音楽だったり・・・。そんなささやかなものたちをもう一度あえて注視してみると、そこにはたとえば自分の好きな色や音、その組み合わせ、忘れていた思い出や新鮮な驚き、楽しい夢が立ち上ってきたりすることがあります。つまり、日常に新しい価値の質や解釈が与えられたり、豊かさの指標を更新するような、そんな何かのきっかけになるものがデザインであると考えています。

最近ではIPODの微妙に重い重量感に!と思い、
薄くてスタイリッシュなデザインの携帯が実は逆に使いにくくて、重くてずんぐりしたNOKIAのやつのほうが手にしっくりくる!!と感じたり、
古いイタリア車の乗心地の悪さによる不思議な優越感に!!!と感じたり・・・とこういう感じです。

デザインとは決してただ形を作ったり、装飾を施したりすることではありません。そのものの成り立ちや必然性、素材の特性に基づき柔軟に熟成され、時に整理されてゆくものです。そのもの自体のわかりやすさも大事です。
たとえば住宅の屋根はどこでも常に3角形である必要はなく、その場所や条件、施主の個性や価値観などによってさまざまな形がありえるのではないでしょうか?そこまで立ち戻って考えることがデザインです。
デザインとは決して新奇さや奇抜さなのではなく、日常の中で気がつかなかったものや感覚、風景に愛情あふれる視線を投げかけるきっかけ、
日常の出来事に形を与え、ちょっとした彩を与えるユーモア、
好奇心を刺激するスパイスのようなものだと考えています。

建築のデザインも然りです
そこから見える風景、視線や風の抜け、家族、ゲストとの視線の交わりかた、コミュニケーションのあり方、そこでの出来事、行動や行為・・・、
例えば調理する自分をかっこよく演出するキッチンだったり
例えば風呂上りに裸でビールを飲む為のテラスだったり
例えばオーナーのスタイルをさりげなく演出する家具だったり
例えば愛する人をより美しく輝かせる照明だったり・・・。

そんな、理屈や言葉では簡単に表現しきれないものや、今まであった潜在的な質をあぶりだすように、そこでの出来事に物語と形態を与え、生き生きとした状況を獲得することが建築を作るということなのではないかと思います。そうです。今まで無意識であったものを有意識に変換できれば最高です。

私達にとって、建築は単なる形態の新奇さや、利便性の追及などだけでは決してありません。極論ですが、建築とは形を作ることであると同時に出来事やスタイルを創造することだと思っています。建築、空間は日々の活動に新しさと楽しさもたらすような仕掛けとして、また豊かさを包み込む流動的で動的、おおらかな器としてデザインされるべきであると考えています。そして、必要なものに対してもっともふさわしい形をもっともふさわしい手段として、あるようにあるがままに楽しく表現されるものだと考えています。いわば複雑に混在しているものやスタイルを、還元的に上手に整理しきることだと考えています。