Column

ロンドン留学時代のこと

大学院生時代の2年間をロンドンで過ごしました。
文化比較論としてロンドンがどうとか、東京がどうとか日本がどうとかいうつまらないことをいうつもりは毛頭ありません。
ただ、そこでは時間の流れと、それを許容する空間、街自体がゆったりとした包容力のあるものだと感じました。
そしてそれは物やお金に頼る画一化された現代的な生活や空間だけではなく、歴史の積み重ねを根底にした、個に基づく生活や空間の質の違いそして、思想の違いであるのではと初めて発見しました。
これは建築設計者としての私にとって革命的な出来事です。
当然私は貧乏学生でお金はまったくありません。ですが、テムズ川のほとりにたたずんでいればどんな素敵なオープンカフェよりもくつろぐことができるし、ロンドンの少し北のほうの丘に登り夕日を眺めていればどんな願いもかなうようなおおらかさに包まれるし、市内のそこらじゅうにあるギャラリーや美術館はすべてただで観覧できるし、ビールやクラブはどこでも・・・つまりお金をかけなくても十分に豊かな生活ができるということです。精神的な豊かさ、楽しさ・・・そのときまで捜し求めていた精神と生活と空間の関係の本質を感じとれたときでした。
建築も然り、多くの建築は100年以上前のものであり、さまざまな人にさまざまな使い方をされてきています。ときに住宅であったり、アトリエであったり事務所であったりホテル、学校であったり・・・。その時々に応じてさまざまに使われてきたタフなものです。そのような空間は包容力があり、おおらかで、シンプルで、そして生き生きとしています。この生き生きとした空間はとても素敵です。空間が主張することもなく生活の背景としてゆったりと居心地がよいものです。これにはかなり影響を受けました。建築そのものが主張するのではなく、建築によって引き起こされる何か、そこでの生活や行為、出来事、豊かさが重要なのであり、その仕掛けとしての建築、場としての空間こそがデザインの対象になるのだということを学びました。

周辺、外部から物事を見ることで、より客観的に物事を判断でき、本質に近づくことができる、ということは重要なことだと思います。ロンドンでの経験は同時に僕に日本の歴史に対しての温故知新、日本の文化や空間についてのより深い理解とその素晴らしさ、歴史に対する考察に深みを与え、日本の空間が潜在的に持つ空間の流動性と動性というキーワードはこれから自分が何を造るかということを指し示してくれたように思っています。