Column

修行時代のこと

バブルがはじけたと世間で言われていた頃に私は就職をしました。つまり、幸か不幸か、バブルによる好景気などは自分の生活にまったくの影響をもたらすこともなく、すでに歴史上のひとつの出来事となっていました。ただ、そのお祭りに参加できなかったということは残念なことなのかもしれませんが、不景気のどん底からキャリアを始めたという意味では、地に足がついた価値観をうまく醸成できたのではと思っています。
卒業した私は黒川紀章さんの事務所の門を叩きました。当時、美術館や音楽ホールなどの公共建築、さらには日本に限らず海外から仕事が集まってきていました。私自身も、7年間にわたる在籍中に4つの美術館、博物館を主任技術者として担当する機会を持ちました。予算はどれも数億円から百億円を超えるものです。
当時は日々デザインと予算、現場との戦いです。仏師のような緻密さを持って日々デザインを作り、数学者のような怜悧さを持って予算と格闘し、そして現場監督、職人さん達と丁々発止の戦いでした。大きな現場になると比例してデザインも難しくなるし、予算も逆にコントロールしにくく、図面の線の一つ一つが驚くべき金額になり予算に反映されてゆきます。ストレスを強要される環境でしたが、“何とかする”という自分の許容範囲としてのキャパもそれに合わせて少しづつ大きくなっていったような気がしています。
黒川事務所で学んだことは設計技術や思想やデザインであるだけではなく、建築家に最も求められる資質でもある、与えられた条件の中で最大限の効果と結果を導ける合理性や、デザインに対して常に前向きな探究心、何とかするという精神力とタフさを身に着けることができたのでは、と自分なりに思っています。
2002年に、より精度の高い仕事、また施主とのコミュニケーションを今まで以上に前面に出せる環境での仕事を望み、個人の建築家として独立しました。仕事の環境は変わることになりましたが、施主に求められていることは、常に以前と同様 “素敵な建築を・・・“ であり、対する私、建築家としての仕事の内容や意思も変わることはありません。コストや規模の大小ではなく、施主とともに何とかしたいという強い気持ちと、素敵な夢を持ってリクエストに答えてゆきたいと思っています。