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さあ、現場だ

現在、事務所ではあるプロジェクトの見積もり調整を進めている。実際、図面を書いている時間より、数倍長い時間を費やしている。まあ、いつものことだが、建築は額が額だから・・・、本当に骨が折れる作業だ。正直、図面を作成することよりよほど消耗する・・・。

建築の見積もり書は、各材料や部材、手間などが詳細に記述され、本当に分厚い・・・、まるで文庫本みたいな厚さがあることもある。これを来る日も来る日も眺め・・・、図面と照合し・・・、我々の作成する予定見積もりと比較検討し・・・、赤線を引き・・・、査定し・・・、代替案をひねり出し・・・、また時には再見積もりを取り・・・、そして施工会社と交渉をする。

我々は、すべてを暗記するくらいの意気込みでひたすら施工会社より提出された見積もりを、文字通り穴が開くほど見て、観て、診続ける。いや、実際暗記している。もはや、格闘技だ・・・。
土工事は何㎥で、単価はいくら・・・、鉄筋の重量はどのくらいで、単価はいくら・・・、クロスの単価はいくらでそれが何�・・・、と暗唱できるくらいにまで・・・、適正な建築コストを追求する。

そのプロジェクトの見積もりが何とか収束しそうな気配を帯びてきた。

先日、建て主に見積もり書を提出した。建て主は合計金額を見て、そして僕の目をじっと見ながら、”芦屋君、この見積もり金額は設計者として了承できるのかい?”と問うてきた。僕は彼の目を見て、よろしくお願いしますと伝えた。ここに至るまで、度重なる打ち合わせと説明を行ってきたが、最終となる今回の詳細な内訳書を開くことなく・・・、”了解した、早速契約の準備を進めるよう”と、ねぎらいの言葉と共に僕に指示をした。

毎度の事ながら、本当に責任の重い仕事だ。

かなり傲慢だが僕は不沈空母のごとくの不遜さをもって・・・、

もしこれが自分がオーナーとしての建築の計画であるのならば、自分自身が適正であると納得できる金額・・・、計画の内容と照合し、自分なら了解できる、つまり気持ちよく支払える金額・・・、自分の価値観を大きなひとつの目安としている。

見積書も、もはやここまで複雑にってくると判断の客観性ではなく、あくまでも自分を基準として建築の質とコストと効果のバランスを判断しなくてはならない。実際、見積もりの内訳をひとつひとつを克明に理解し、納得し、判断するということは、施主にとっても過酷なくらい複雑なことだから、だから、だからこそ施主には僕を信じてください、と言う他ない。

建築の計画と品質、デザイン、そしてコスト。このバランスが大切だと思っている。