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西から昇ったお日様

建築に安定した品質と精度の高い工程やコスト管理を求めるため、我々はなるべく同じ施工会社、監督さん、そして職人さんたちと継続して仕事をすることがベターだと考えている。
様々な理由でなかなかそうは行かない場面もあるのだが、建築は図面だけでできるものでは決してないし、作り手の気持ち、思いが大切だ。だから、できるだけ気心が知れた人たちと・・・と思う。
新しく手合わせをする方たちとは、求められれば我々の担当した建築を一緒に見に行き、設計の考え方や納まり・・・、そして現場のプライオリティーをしつこく伝えてゆくことがある。連れ回されるほうもたまったものではないかもしれないが、これは勤務していたときに教わった方法だ。

そんなことで、先日ある工事担当の方と我々の担当した建築を一緒に見て回った。

そして彼が最後に一言・・・。
どうしてそこまでして軒を薄くしたり、サッシュを細く見せたりするのですか?そりゃあシャープで見栄えが良いかもしれませんが、施主や周りの人ははそんなことに気がつきますか?設計者の自己満足と違いますか?と・・・。

まあ、ここまで言われても僕は決して動揺しない。なぜなら、この仕事を始めて16年・・・常にそう言われ続けてきたから・・・。

ここで僕が答えたこと。

以前、日本海に面する地方都市に現場常駐していた。現場に到着したのは4月末・・・、5月のゴールデンウィーク明けに現場スタートというスケジュールだったと思う。もう12年前のこと。

現地に到着してすぐ、僕はなんともいえない違和感を感じていた、それは街がどうとか景色がどうとかそんなことではなく、何か根源的、生理的なものだった。

とりあえず僕は、街を経験するかのようにまづ街で一番大きな国道8号線を探し出し、ひたすらに北上と南下を繰り返しながらその違和感が何なのかを考えたりしてみた。そして2週間ほどして、街を流れる九頭竜川の流れる方角を見てその違和感に気がついた。

川が北に向かって流れてる・・・。太陽の方向ではない方向に流れてる・・・。

西から昇ったお日様が東に沈むバカボンのパパほどではないが、驚いた・・・。

僕は太平洋に面する街に生まれ育った。つまり僕にとっての川は常に太陽の方向へ、つまり南のほうへに向かって流れ落ち、そして昼間は海の上に太陽が見え、夕日とは海の上手に沈んでゆく太陽のことだった。そして月の軌道も然り・・・。

しかしここではすべてが逆なのだ。この事実に、僕の潜在的な感覚というか体は気がついており、それがえもいわれぬ違和感になっていたのだ。

これに気がついた僕は、即座に自分の頼りのない脳内GPSを再設定し、1ヶ月も経つとこの感触が心地よかったりしたものだ。

こんな話をし、然るにデザインやその意味についていちいち語ることはなくても・・・、はたまたそれに気がつくことはなくても・・・、その総体として建築のかもし出すプロポーションや品や質、緊張感を形造るものが大事なんだと。

大げさに言えば、デザインとは視覚にたいしてだけでなく、五感すべてに、いやいやもっとあなたのDNAにすら語りかけているものなんだと・・・、そう、意識化されていないだけであって、人の感覚は本当に鋭敏なものなのだと。

だから、軒は細く、サッシュはシャープに、見切りはシンプルに・・・、建築の組成をより根源的な簡潔さを持つ美しさに近づけるようにね・・・とお願いした。

デザインとは、見えるばかりではない・・・と思っている。