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チョコレートとグールド

若く、生き生きとしたパティシエの作ったチョコレートを食べ、音楽を思った。彼のチョコレートは音楽のようだった。

僕はたいてい仕事の最中は音楽を聴いている。そしてそのほとんどがピアノソナタ曲だ。ほんの3割ほどがピアノ協奏曲で、後1割くらいがポップスだ。ピアノソナタ曲ではグールドの録音をもっとも気に入っており、もうかれこれ10年くらい聞いている。グールドの演奏はすべて、ipodに記憶させ、朝からノンストップで聞いていることもある。一日24時間でも足らないくらいだ。
ただし、個人的な見解により、唯一存在するショパンの曲の録音だけは例外だ、グールドにショパンは似合わない。決して演奏が悪いとかじゃないけど、なぜか・・・。ショパンが聞きたければポリー二のほうがよい。それに僕にとってショパンの曲は華美すぎるというか、装飾的過ぎるのだと思う。

なぜピアノが好きかと、それは、ものすごい不自由さの中にある楽器だと思うから。

その限られた数の鍵盤のそのそれぞれのシンプルかつ単調な音の無限大の組み合わせや重なりによって、無限な世界ができるから、そしてそれはまさに建築的だから。建築も大きく分けて、床壁天井窓やドアなどなど単純なパーツによる無限の組み合わせから成り、同時に下から重力、横から風、上から雨、そして床、壁、天井、建築の材料、法律や規制とあらゆる制約の中に存在する。

そして真に素晴らしい建築はこれらの制約と上手に折り合いをつけ、時にこれらの条件と仲良く共存することによって成立する。

建築と音楽、特にピアノ曲に惹かれるゆえんはここにあろうかと思う。僕も常々これらの制約をひっくり返すのではなく、共存しながらそれらのよさをより引き出す事に重点を置いてデザインを試みているように思う。

話を戻して、きっとチョコレートに使用される素材はカカオをはじめそんなに多種はないはずだ。それに温度や湿度、光沢や、サイズ、見た目、と小さな塊の中にあらゆる技術と思いが詰め込まれ、それがひとつのハーモニーになっているような気がした。きっと制約が多く、ごまかしの聞かないシンプルな世界なんだなと、そしてそれら制約と仲良くなったときに新しい世界観が創造さされるんだな想像した。