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スケールについて

旧友から突然の電話があった。
聞けば、絵を描いてくれる人を探している友人がいるが、紹介したいのだがどうか?とのこと。なんだかミケランジェロにでもなったような気分にさせてくれる素敵な問いかけだ。

ミケランジェロは画家であり、彫刻家であり、そして建築家、都市計画家であった。つまり物理的に存在するものすべてを描く神である。
しかし残念ながら僕は絵は書けるが、描けない。しかしさらに聞けば、どうやら三角定規を使ってもよさそうとのこと・・・。これなら書ける。僕は画業を生業にしているわけではないので直線しか書けないのだ。目盛りは僕の羅針盤・・・、必須である。

そして、その依頼主でもある氏を紹介していただいた。

ここで驚いた。僕は平均以上・・・、いや完全に平均を逸脱するほど背が高い。そして氏はさらに僕が見上げるほど背が高かった。
初対面の人の約8割の人は僕に、でかいですねー、とまず最初に僕に言う。正直もう限りなくこの感想を胸あたりに受けてきた。たまに、でかいって・・・見たことないくせに・・・、見たい? といってみたい衝動に駆られるが、なにぶん初対面、この荒業は未だ数回しかトライできていない。

続いてその内約8割の人は、何かスポーツしてましたかと聞いてくる。この2段構えの質問はもう・・・。それは良いとして、僕が驚いたのは氏の身長ではない。彼と対峙した時僕はなんだか不思議な感覚に陥っていった。それはただ人を見上げる経験が著しく欠如しているからだけではなさそうだ。
昔々、モテル男の条件、三高というのがあった。言わずもがな・・・、高収入、高学歴、高身長というやつだ。僕はこの高身長だけは確実にクリアーしていたが、もてたためしはない。残念ながら・・・。まあほかに足らないものが多すぎるからだが・・・、この高身長というものがモテル、ということがなんとなく、今日はじめて理解できた。

僕は彼に向かい合いながら、なんだか寄り添って見たいという妙な安心感、包容力を感じてしまった。彼は男であるが、僕は決してゲイではない。

僕が驚いたのは氏の高身長ではなく、このスケールによる僕の意識感覚の変化変様に対して・・・、そして何より、スケールを扱うことを生業としている僕が今までこの事実に気が付かないでいたことだ。これは由々しき事態である。

建築の設計とは煎じ詰めればスケールを決めることである。空間の大きさ、高さ、開口部の高さや幅などすべてはスケールだ。にもかかわらずこのスケールにより引き起こされる感情の起伏に今まで気が付かないで設計をしているなどとのたまっていた自分が嘆かわしい。

スケールとはあくまでも相対的なものなのだから、物理的な尺度としてのスケール自体が問題なのではなく、そのスケールのおかれる状況や関係性によって流動的に決められなくてはならない。そんなことは判っていたはずなのだが・・・、由々しきことだ。

そんなこんなで、いかにも愚問ではあるが、反射的に大きいですねー身長はおいくつですか?などとのたまってしまった。われながらどうかと思う。さらにはスポーツは何かやっていたのですか?と更なる条件反射。僕に同じ質問をしていた人たちの気持ちが良くわかる・・・。むしろ失礼ながら、嬉々としてこの質問を楽しんでしまっていたかもしれない。

すると、彼はバレーボールをしていたらしい。まあ、ここまでは予定調和的な回答・・・、しかしそのあとが奮っていた。彼は日本代表選手として戦っていたこともあるとのこと、これはすごい。身長より素晴らしい・・・。

何の話だか良くわからなくなってしまったが、スケールについてより理解が深まった出会いであった。