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語学の先生

もう、10年以上も前のこと。仕事も順調に覚え始めたある日突然、日本を離れてみたくなった。
理由は未だ分からない。

別に悩みや行き詰まりがあったわけではない。早速、その旨申し出、海外プロジェクトの担当にしてもらうよう談判してみたが、何ゆえ稚拙な英語力、当然のことながら即座に却下されてしまった・・・。
だが、物分りの悪い事では人後に落ちぬ僕のこと、早速、時間とお金をかけずに英語力を高める作戦を練り実行を始めた。

幸い、勤務先には何人かのヨーロッパの人がスタッフとして勤務していた。そしてさらに楽しいことに、インターンという外国人アルバイトも何人か入れ替わり発ち替わりやってきていた。彼らの多くは学生なのだが、一年単位で休学し、実施訓練を受けに来日しているのだった。そしてそれらが単位として認定されるらしい。大きなお世話だが、当然、彼らは学生だから貧乏である。

そこで僕は、彼らを休みのたびに京都だの大阪だの・・・、もちろん都内も案内した。遠出のときは自分で車を出し、泊りがけで出かけていった。そこでは完全に英語のプライベートレッスン状態。彼らにとっても日本を知る良い旅行になるし、僕は英語のレッスンを受けられる。そんなことを週末のたびに繰り返し、普段は彼らと飲みに行き、下宿に泊まり・・・、そして英語を覚えていった。

1年半くらいで大学院留学に必要なくらいのTOEFLの点数を確保できるようになった。自慢ではないが、ほとんどお金がかかっていない。

そんなこんなで、なぜか海外のプロジェクト担当はあきらめ、ロンドンの建築専門大学に入学した。

そこでも、暇さえあれば街角のホームレスや暇そうな店員に2ポンドくらいを渡し、僕と英語のレッスンをしてもらった。時には、論文の英語の添削をも頼んだ。ものすごい格安の英語レッスンだ。

ただし、危険もある。
なじみになった、いつもの帰り道の途中の同じ場所にいつもたたずんでいる若い女の子に公園でレッスンを受けていた。そうしたら、突然、体のでかい黒人の大男が俺のガールフレンドとなにやってるんだと大声でわめきながら近づいてきた。われながら情けないのだが、急いで、2ポンド手渡しその場を退散した。
あの彼女は大丈夫だっただろうか?
DVなんてめに合わされていないだろうか?

そんな危険なことはめったにないけど、法外な値段を吹っかけられたり、街を行く人に憐れそうに僕まで眺められたり・・・、色々あったけれど何とか英語でプレゼンできるようにはなり、何とか卒業した。
実際、入学するより卒業するほうが数倍難しいのだ。

なんとか卒業できたのは良いけど、最後の最後まで、担当教官には、お前の英語力では卒業プレゼンは無理だ・・・、然るに卒業させるのは困難だといわれ続けていた。