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そろそろブログがつらくなってきた。

なぜ書いているのか・・・、それも真剣に・・・。まさに無我夢中に五里霧中・・・。

文章を書くことは嫌いではないが、ただ書く・・・、日記を書く・・・、ということがどうしてもできないためネタが尽きてくる。文章を作る事は僕にとって建築を作るのと同じで、できるだけ構築的に・・・そしてところどころにユーモア・・・という感じで、面白いことに気がつかされたと思っているが、それにしても同時に手がかかる。それに、ひとつの文章に費やす時間を30分と決め、それ以上は絶対に費やさないようにしている事も重荷になる原因のひとつかもしれない。

なぜ、ブログがつらくなってきたかを、検証してみる。

ブログにおいて、語り手は自分自身でしかないため常に一人称での語り方になってしまうからであろうと思う。
それは、自分が感じたことや思ったことを主観的に書き付けるには問題がないけど、中間的な事象や曖昧な雰囲気、また読み手の好奇心の触発や読み手自身の感性にゆだねられた解釈を表象することがとっても難しい。

つまり、自己満足の世界・・・。そして、さらに物事を定義することはもっと難しい。つまり、自己完結、唯我独尊・・・。
物事を伝えるということは自身と他者との対話、つまり関係性にこそ表象され、それは常に揺らぎ、曖昧なものだと思うのだ。この揺らぎの振幅が会話の内容に奥行きを与えてゆく・・・。だから、何かを書くということは常に3人称で語られたり、他者との対話で表象されることのほうが公平で、より本質に近づくことにつながるのだと思っている。
建築も然りだ。人との対話や、行動によって様々な表情や使い勝手を表象する建築は素敵だ。

僕は村上春樹の小説を敬愛している。最近の作品は以前とは少々変化してきたような気がするが・・・、氏のよくある、僕と彼女・・・、みたいな表現が自然で押し付けがましくなく、時に無責任で・・・、そこに愛情がすべりこむ余地があるのからだと思っている。そう、会話や3人称で表象される微妙な緩さがとっても素敵だ。

 

もうひとつ・・・書き記す必要なある日常や事象が限りなく少ない。

試しに・・・、

今日は、現在進めている事務所ビルの計画で、中央にある螺旋階段を右回り向きから左側向きに変更することによって、室内の広がりと玄関から見た姿が俄然美しくなるということに気がつき、自己反省しつつも狂喜乱舞・・・、すべての図面を書き直すという暴挙を企てた・・・。
隣の席では、相もかわらづ模型、模型、模型・・・。仏師のような緻密さ・・・と、数学者のような鋭利さ・・・と、外科医のような大胆さ・・・で、模型を作っている。

ということくらいだ。ほぼ毎日こんな感じ。歩く歩数から、もしかしたら呼吸の回数まで一日そう変わりなく過ごしているのかもしれない。ちなみに、事務所で一日過ごす日の一日の歩行距離は約150m程度だ。これを知ったときには、自分の寿命はそうは長くないと悟った。

まあこんな感じで、日々書くことは少ないし・・・、進めているプロジェクトについても、設計中にブログで書くというのも守秘義務という信義に反するし、そうするともう書くことはないのだ・・・。

自慢ではないが、本当に単調な日々を送ってる。もはやルーティン化した日常だ。

だが、しかし、このルーティンこそがまだ未知なる世界に僕を手繰り寄せてくれるのではと思うように努力している。イチローのルーティンがそれをおしえてくれる・・・、と自己弁護をもしてみる。

そう、この僕の単調な日々も、地球の自転も同じく意味があるのだと・・・。