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建築構造エンジニアの眼

勤務時代4年目のころ、僕はある地方都市の公共施設の現場に担当者として1年半の間にわたり現地に常駐した。
まったくの一人きり、来る日も来る日も大勢の現場監督と職人さんに囲まれ、消耗する日々が続いていた。

そんな中、月に一〜二度、構造エンジニアが構造の検査で僕をフォローするためにやってきた。エンジニアが僕にとって唯一の仲間であり現場の師匠だった。くるたびに、鉄筋の組み方、型枠の設置、コンクリートの品質、鉄骨の精度・・・と僕を叱り続けていた。

そして夜になると僕を飲みに連れ出し、時間外定例会。
そこでは建築に対する思いや、人生観にいたるまで色々と話を聞かせてくれた。

構造エンジニアは建築を3次元に建てせしめるため、あらゆる法則や物理を駆使して建築のイメージを具現化する職能だ。僕はエンジニアに建築を建てることの責任と困難さを叩き込まれたといってもよいと思う。今でも師匠として崇拝している。

現在、僕は同世代のエンジニアと共働している。
彼らに共通するのは、とにかく理知的で理性的・・・、数理をもって原理を欲し・・・、道理をもって定理を愛する・・・、文字通り’理’詰めだということ。

僕は、このような空間がほしいなどとイメージを先行させるが、彼らはまったく逆のほうから理路整然とそして美しく建築を組み立ててくる。
壁の量のバランスが悪いとか、水平力に対する剛性がどうとか・・・。

打ち合わせの際に、僕は図面ではなく彼の眼をじっと見ながら自分のイメージを伝える。まったく話にならんよ・・・、といった眼をすることもあるが、時に僕のアイデアに対しより革新的なアイデアを付与し、建築に必然性を与えてくれる。彼の眼がキラッと輝くのを待って、じっとじっと彼の眼の先と、その輝きを見つめながら、ゆっくりとゆっくりと打ち合わせをしている。

我々設計者にとってエンジニアは、施主に素晴らしい建築を提供するための唯一無二の同志だと思っている。関係役所、現場と様々な人たちと渡り合ってゆく建築の過程においてもっとも心強い仲間だ。
そして今でも彼らエンジニアの理路整然とした思考回路が僕にとってのひとつの思考のモデルというか規範となっている。

もし、再度学生時代にもどれるのであれば、僕はためらうことなく構造エンジニアを目指していたと思う。