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ズラスこと、ハナスこと。平面を考える

日本の建築様式と西洋、欧州の建築様式の違いを比べることは住む人にとってはそんなに大事なことではないけれど・・・、とはいえ、比較することにより日本の建築様式とその特殊性を理解することは、造るうえでは大事なことになってくると思っています。なぜなら、様式は単純に形の問題ではなく日本の風土や環境、文化によって脈々と進化、受け継がれてきた物であり、日本に住む以上,その感覚が無意識の内に影響されているからだと思うからです。

もっとも大きな違いは素材だと思います。日本、アジアでは多くは木造によります。西洋欧州では石やレンガが良く使われます。これは高温多湿な日本、アジアでは森林、自然が豊かで、木材がもっとも近い材料であることだと思います。欧州ではむしろ木は高価な材料です。ギリシア神殿やローマの大理石であっても、それはもっとも身近な材料で作られているのです。

木を使った建築様式は、その材料の特性上、柱と梁を組み合わせることによる軸組み構造です。欧州では石やレンガを積み上げた組石造。ここがもっとも極端な違いかと考えます。日本の高温多湿な気候に対してもこの柱梁構造の風通しのよさはジャストフィットという感じです。

ということで極論としては、日本建築は柱と梁、西洋、欧州では壁で空間が形作られるということだと思います。

柱梁で空間の骨格を作り、空間は隣の空間とはフスマや障子なので適宜、簡易的に仕切られます。ですから壁で仕切られる独立した空間ということ言うイメージではありません。つまり壁により、物理的に区切られるという感じではなく、簡易に仕切られるという感覚。
そしてその仕切られた空間を部屋としてではなく”間”と呼ばれます。このところをもっとも顕著に見ることができるのが、いかにも日本家屋のイメージを持つ旧家のイメージです。フスマでいくつかの空間は仕切られていますが、それを開放すると大きな和室になったりします。この仕切られる感覚、そしてそれぞれの空間が流動的にそして連続的に配置されているところが良い例です。

 

”間”といわれる空間に日本建築、さらには日本の文化の核があるのではと思っています。古典芸能、漫談などでの”間”も同様です。

逆に西洋の空間は物理的にもごつい石の壁により四方向を囲まれ、それぞれの部屋は完全に独立した空間として成立しています。

屋根の考え方も違います。日本では、柱梁の上に屋根がかかります。大きなフレームに屋根、一つ屋根の下などといわれますがこの屋根の下というのが一つの生活に直結した建築様式、そして家族のあり方のイメージなのではないのかと考えています。日本人は個人よりも共同体を大事にするメンタリティもこの辺りの影響があるのではないでしょうか。あくまでも推論ではありますが・・・。

西洋では石による組石造の壁がそのまま屋根にアーチとして連続してゆくように、どこから壁で屋根なのかがわからないような建築です。つまり壁の建築。ロマネスク建築のドーム天井やゴチック建築のアーチなどにその石造りの特徴が見られます。石で囲まれた独立した空間はいかにも西洋的個人という概念が育ちそう・・・、と思ってしまいますがこれはこじつけでしょう・・・。

 僕には建築の原風景があります。

それは江戸時代の末期から建つ母親の実家です。、大阪の街中に立ついわゆるうなぎの寝床といわれるような間口は狭いけど奥行きがかなり深い典型的な日本家屋です。そこでは各室はふすまで仕切られながらも奥に向かって重層化され、その果てには大きなお蔵と庭がありました。実際この家は母親の先祖達により、時に商店として、医院として、事務所としてなどさまざまに使われてきたようです。

この空間が今でも設計する際の僕のイメージです。あいにく、神戸の大震災で取り壊しの憂き目にあいましたが、今まで自分が育った空間はよく思い出せませんが、今でもこの住宅の細部、季節や時間による表情の変化を克明に思い出すことができます。

連続しながらも不連続、分断と流動と停滞、使い方や見え方をさまざまに変化させることができる重層的な空間、というのが僕の空間に対するイメージなのです。

現代の技術と生活の様式、建て主のリクエストを鑑みると、やはり昔ながらの柱梁構造の建築ではありません。

とはいえ、何とかそのよさを現代に応用できないかと考えています。積層させた床によるスキップフロアー空間も、空間にある流動性と横断性を現代様式としてアレンジした物だと考えて設計しています。
なぜなら、現代の人の生活パターンや価値観は変わったかもしれませんが、我々に脈々と受け継がれるDNAは依然として潜在的、無意識にそれらの日本的な空間を欲しているからだと思っているからです。

                            

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ここでは、流動性と遮断をテーマに平面計画を行っているダイアグラムです。単純に四方向を囲まれた空間を最小限(コストがかかっても意味がないので)のオペレーションで空間に流動性、視線の抜け、外部環境とのつながりとプライバシーによる要請による遮断を生み出そうとしています。

まづは”ズラス” ”ハナス”です。

一つの空間としてのおおらかさと包容力を維持しつつ、ずれることによる空間の重層化と立体感、奥行きと広がり・・・。そしてずれた隙間から見える家族の気配や外部環境。つまりは”チラリズム”です。結局それかという感じにはなり、自分としても至極残念ではありますが・・・、やはりそんなところに本質的なものを感じてしまうのです。

接続と遮断。流動と停留。背反するすれぞれを空間に埋め込むことにより、日本人のDNAに響く何かに届いてくれればと願っています。

ちなみにもし仮に僕が自邸を建てられるとしたら・・・、いわゆる田の字プラン、部屋が田の字に4つ並びそれぞれの部屋がふすまで仕切られているような、そんなシンプルな自邸になるかと思います。いつかは建ててみたい・・・。