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友人の背中

僕は、中高校生時代の6年間をひたすらテニスをして過ごした。僕はまったく結果は残せなかったが、僕の記憶にだけは残った。

特に高校三年生の最後のインターハイの県予選。
我々は同級生だけで総勢10人の小さなチームだったが、団体戦でチームは県内ベスト4にまで進んでいた。ここで勝てば、決勝の相手は勝てる見込みのある相手であったので、チームにとっての事実上の決勝戦だ。その年のインターハイは北海道だったので是が非でも優勝し皆で全国大会へ行きたいとチームでは盛り上がっていた。

試合は1対1で、わがチームのエースに勝敗がゆだねられた。
彼のテニスはとにかく美しい。常に積極的に攻め続ける攻撃の得意な選手だ。チームはそのエースに全幅の信頼を置いていた。その試合の相手は地味だけど決してミスをしない粘着形の相手だった。試合は一進一退でファイナルセットにまで持ち込まれてしまった。相手も相当にばてていたが、エースもかなり疲労していたように思う。

エースがすごかったのはファイナルセットに入ってからだ。あと1ゲームも落とせないような絶体絶命のピンチになっても、手加減することなくひたすらに攻め続けた。ネットでサイドを抜かれようが、足元にボールを沈められようが、気迫を持って攻めていた。相手もかなり参っていたから、正直、ここで少しでも防御型に攻撃を変更したら結果は違ってきたのかもしれない。監督も、戦術を変えるように何度もエースに指示をしていた。それでも彼は自分のスタイルを変えなかった。彼にとって勝利を失うことよりも、自分のスタイルを変更することのほうが受け入れがたいものだったのかもしれない。そして最後の最後まで、プレシャーをものともせずに、恐ろしいほどのスピードのサーブを打ち込んでいった。そして僕はその後姿を敬意を持ってネットの外から見つめていた。

試合はタイブレークの結果負けてしまった。彼は試合後にお前らを北海道に連れて行かれなくてとしょげていたが、エースのスタイルを知るチームの皆が彼を責める訳もない。僕はすごいやつと3年間テニスができたことを誇りに思ったことを覚えている。

彼にはもうひとつ、個人戦でインターハイに出場するチャンスが残っていたのだが、個人戦で出場になっても皆で北海道にいけるわけではないという明快な理由で、その後行われた個人戦ではまったくやる気がなくベスト4におわりインターハイには出場していない。やる気がなくて準決勝まで行く彼の実力はまったくもったいないと思うが、チーム思いな素敵な奴だ。

彼は今でも良い友人の一人だ。