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石器時代の案内図

案内図を作るということ・・・、これには人生のすべてをかけなく出はならない・・・。決して大げさではない。

今までもショップや美容室のリーフレットの作成を依頼され、その裏面に掲載する案内図としてその地のアクセス地図を作成してきた。
その地図・・・、必要な情報だけをデフォルメし、いかに見る人にわかりやすく作るかが勝負である。つまりはほんの何気ない見方、たとえば歩行中、車の運転中とか・・・、たとえば視力の落ちた高齢の方とか、就学前の子供とか・・・・、普段の30パーセントくらいの解像度でも余裕でわかるくらいでなくてはならない。

つまりはプレゼンテーションの技術の最高峰である。

であるから、然るにこの地図の作成にはその作成者の人格と見識、そして人としての優しさと生命力、愛が問われることになる。

たとえば地図に必要な方向感覚・・・・。単純に上が北です、なんていうのはまったくユーモアがない・・・。方向などどうでもよい、わかりさえすればよいのだ。

さらには距離感・・・。物理的な距離感をいかにデフォルメして地図上の距離感に変換するか・・・、これはもはや建築設計と同義である。

この距離感や方向感覚は我々男子が石器時代のころから教養とされてきたひとつの知恵である。

すなわちこれらの能力こそが狩猟に発揮され自身の生命、家族の維持に直接的につながってきた・・・、はずである。
当時、今で言うようなイケメンであるとか、頭脳明晰であるとかといったアドバンテージが、彼の方向感覚は超越的技能だわ・・素敵・・・、彼の距離感は知的で深遠だわ・・・、といった会話が妙齢女子の間で頻繁にあったことであろう。

きっと石器時代の案内図は完璧であったに違いない・・・。

そして、さらには地図のわかりやすさはその人自身の優しさや気遣いに直接関係する。来ていただく人に対する、おもてなしの心である。
いくら細かく地図を書いてもわかりにくければしょうがない。地図を見ればその人となりがまさしく見えてくる。否、地図にはその人自身が存在するといっても過言ではない。

 そして何より美しくなくてはならない。つまりは美学がなくてはならないのだ。それこそが人類の発展に彩を与えてきたのである。

であるから、この地図を作成に際しては作成者にはこれらの人間としての根源的な能力が問われることになるのだ。

ということで、僕は卑怯にも可能な限り地図を作成することを避けている。
そして、もし僕に地図を見せ、場所を指定する際には覚悟を持ってお願いできれば、と思う・・・。