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小泉今日子とヴァンヘイレン

小学生の高学年のころ・・・、アイドルといえば小泉今日子、中森明菜、堀チエミ・・・。彼女たちが颯爽とデビューしたころで、僕は未だ毛も生えていない純真無垢な眼差しで彼女たちを友人と互いに批評しあっていた。それはそれで無垢だからこその先鋭的な批評だったのだと思う。家に帰れば、ベストテンなどの歌謡曲番組での彼女たちの歌声を録音するべく、テレビにラジカセを近接させ家族に静寂を要求しながら、自分なりのメドレーテープを幾つも作成していた。

中学生になると、録音の対象はベストテンからベストヒットUSAに変化し、対象はマイケルジャクソンやカルチャークラブ、また、ディープパープルやKISS・・・、そして何よりヴァンヘイレンなどなど・・・、そのPVを節操なく録音し、それぞれをカテゴライズしたテープを幾つも作成し悦に入っていた。このラジカセによる録音は失敗が許されず緊張感を強いられるものであった。しかしこのころになると、テレビとラジカセをそれぞれ直接ケーブルでつなぐという新手をマスターしていたため、雑音の悩みからは開放されていた。そう、音楽も好きだったのかもしれないが、それよりもそのテープをつくりそれを収集するという行為により惹かれていたのかと思う。つまり、気になるものを収集することに喜びを感じていたのだと思う。

今の収集癖は建築家や美術家の作品集を収集することである。そしてそれは音楽テープと変わらず自分自身の趣向のみに偏った自分だけのコレクションで、20才のころからかれこれ20年・・・その数は比例級数的に増え続けてきた・・・。

僕は30代のうちは・・・、という多くの言い訳を自分に対してしている。あらゆることに対して”30才代の内は・・・”と念仏のように唱え、自身に負荷をかけてきたような気がする。そして
そのうちのひとつが、40才までは吸収することに集中するため、目に留まった本はとりあえずコレクションし、気になる建築をたずね、美術展には可能な限り足を伸ばす・・・ということだ。
しかし、この数年間、節操なく広がった自分の趣味を少しづつ狭く、そしてその分深くすることにシフトさせてきている。

そしてあと半年で40歳。まずは本の整理、コレクションの整理と処分をすることからはじめようと思う。
本当に必要な、好きな少数の本のみを身の回りに置こうかと思っている。
年齢を重ねるということはさまざまな経験や思い込みにより足かせになることのほうが多いと思うから、その分自分の趣味やダイレクションは軽くしておこう、ということである。

建築の仕事に関しても同様である。自分のできることやできないこと・・・、やりたいことややるべきこと・・・、好きなこと、好きではないこと・・・・、がかなり明確にわかるようになってきた。
これからは幅の広さよりその深さと先端の鋭利さである。

そんな中、僕の30代最後の建築が竣工した。
設計中からこの建築の意味とプレッシャーが僕の中で非常に大きくなっていた。今までのこと、そしてこれからのこと・・・。

そして引渡しの時、施主が僕に言った一言・・・、この仕事の結果はきっと芦屋君と僕の信頼関係だよ・・・、いい建築だ・・・。と。

普段はほぼ、まずもって本心を語らない氏であるだけに嬉しい言葉であった。これもひとつの大きな結果なのだと思う。建築はあくまでも建上がった結果がすべてだと考えているが、その結果の中にある施主や自分の気持ちが末永く続いてゆく建築も素敵である。このようなことにも今まで以上にポジティブに向き合って行きたい。

独立した際に考えていたように・・・、30才代は純粋に一つ一つのプロジェクトをこなす。
そしてこれからの40才代は・・・、これからは純粋さに加えまた違う結果も求めてゆきたいと思っている。

独立してちょうど9年・・・、独立当時イメージしていた40歳を実行する時期が来てしまったようである。
ではあるが、50歳代の自分はまったくイメージできない。果たして建築設計の仕事をしているのだろうか、どうなのか・・・。