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普遍性や必然性

イタリア人男性と結婚している知り合いの女性に聞いた話・・・。彼女はイタリアの地で帝王切開で長男を出産したとの事だが、その際に執刀医師が彼女に尋ねたことが奮っている。

「術後、切開の跡が残るけど、あなたは今後ビキニを着ますか?」ビキニとは水着のことだ。あまりに深すぎてすぐには判らなかったが、要約すると、

つまり、ビキニを着るのなら、なるべく切開の箇所を小さく、そして下のほうにしなくてはならないと。当然リスクも高まるであろうが、ビキニ姿を美しく見せるのなら、対応しますよ。

ということらしい。

さすが、ラテンの国、デザインの国イタリアである。彼女は、医師の提案を受け入れビキニからはみ出さないような切開によって無事に長男を出産したという。

なんだか身につまされる話、命がけのデザインです。

最近読んだ本の話。

普遍的なデザインとは必然性に満ちているという。

例えば鉛筆。永遠不滅のデザインである。なぜなら、鉛筆の芯は木を燃焼させ炭化させた物を生木でくるんだものである。相性がよいはずである。

また、いわゆる植木鉢、テラコッタで焼かれたそれは、焼いた土である鉢に元のままの土を入れて使用する。
さらに成長した植物の緑はテラコッタの赤色とは補色の関係にあり、カラーリング的な相性も最高である。と・・・。

僕は、デザインに普遍性や必然性を求め、またそのバランスをとることが設計であると考えている。

この3つのデザインのあり方の話は僕にとって示唆的であった。