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ストリートミュージシャンの音楽を聴きながら

現場の帰りの川崎駅前のこと・・・、毎度のことだがストリートミュージシャン達の演奏にふと聞き入ってしまった。路上だろうがホールだろうが音楽はライブに限る。市は市政としてストリートミュージシャン、つまり音楽文化の育成には特に寛容らしい・・・と言う事が川崎駅構内の市のPRに書かれている。素晴らしいことである。本日は3組ものライブが見ることができおかげで現場に遅刻した。

若さにあふれ、前向きに音楽に取り組んでいることがひしひしと伝わってくる。熱い情熱を感じつつも、それを維持することの困難さを考えてみた。いつもの天邪鬼である。

僕も10代から20代にかけての頃、無謀な夢を抱きながら過ごしていた。

今になればよく判る・・・。僕は俊輔やイチローになれるわけはないのだ。当たり前のことだ。

誤解しないでほしい。

間違っても、当時の僕は彼らになれると思っていたわけではない。世間知らずにも世の中にはそんな才能があると言う事を知らなかったのだ。
ただ、目の前には大きな可能性が開いていると信じていただけだ。

それは単に、未だ不可能だとわかっていないことが多かったということ。それが若さだ。100mを9秒で走れるかどうかはとりあえず走ってみないと判らない・・・。そう、不可能ではあろうが、実際に試していないというだけで、安易にも一つの可能性になってしまう。

ただ、ただ、そこに気がつくのが本当に遅かった・・・。気がついたのは不幸にもたぶん20代の中ごろだったと思う。遅すぎる・・・。

そもそも成長とは何であろう。可能性を捨象する道程なのかもしれない。

気がついたのはよかったが、もう後には戻れない・・・そんな時期でもある。そんなこんなで今に至る。

自己に対して、冷静に適正を判断し客観的な分析をすることが何より長生きの秘訣だ。これしかない。今になればよく判る。

決して夢を見るなと言う事ではない。しかし、俊輔やイチロー、伊東豊雄に宇多田ヒカル・・・彼らには生まれたときから僕とは違う世界が見えているに違いないのだ。

それは努力などというものでは決して補うことができない何かだ。

子供の頃から努力という言葉にある種の胡散臭さを感じていたであろうに・・・、自分のことになると・・・。客観性の重要性をここでも痛感・・・。

今、自分のできることは、まあ、手前味噌とはいえ、客観的に見て少しだけ秀でた何かを無理してでも見つけ出し、冷静に伸ばしてゆくこと。

そして大事なことは自分のできる範囲の先が、その先の何かに少しでもつながって行ければと、一つ一つ目の前の事を確実にしてゆくこと、継続することだと思っている。

そう、方向さえ間違っていなければ何とかなる・・・はず。