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気づきのデザイン

先日、お世話になっている施主の新店舗のオープニングパーティに参加した。

そこには膨大な量のビンビールが用意されていた。ビンビール・・・、施主によると、ゲストを招き自分がホストに徹するという状況を否応無しに造るにはビンビールに限るということだそうだ。

缶ビールであればゲストが自身でビールをグラスに注ぐことができるが、ビンビールであれば多少その行為に負荷がかかり、逆にホストがゲストのグラスにビールを注ぐという状況を作りやすくなる・・・、との事だであった。確かに缶ビールであればあまり気にはならないが、ビンビールを自分で自分のグラスに注ぐということはためらわれる・・・。だから、ゲストを招き、挨拶をし、歓談する場はビンビールに限るのだそうだ。施主やスタッフたちホスト役はまさしく縦横無尽にゲストたちをもてなしている楽しいパーティであった。

これはその施主自身による、施主自身のデザインである・・・、なるほど。

先日、ある会食にお邪魔した。

ワインがたくさん出てきて往生したが、飲み物も底を付き始め、ワインも低価格の品に変化してきた・・・という説明の中で登場したのは、安い赤ワインを美味しく飲む為の道具として、大きな御椀のようなマグナムグラスであった。最初の一口は確かに渋くて若い味ではあるが、大きなグラスでグルグルとまわしながら、つまりデキャンタージュしながら飲むということだが、不思議なことにワインがますますまろやかに美味しくなってくる。
他にも驚くほど磨きこまれ、冷凍されたステンレス製のピルスナーカップ350mmlのグラスで飲む缶ビール・・・。決めの細かい表面により泡立ちもまろやかになり、最高のコンディションの生ビールに遜色しない味わいであった。ポイントは350mlぴったりのサイズでなくてはならないそうだ。マグナムグラスもステンレスカップも安いお酒を美味しく飲む為のデザインである。

マイセンのカップで飲む紅茶はまた一段と美味しく感じてしまったりするものではあるが、ここでのワインやビールはそれとは違う。紅茶は美味しく感じるという演出のひとつではあるが、ビールとワインは本当に味が変化してしまったのである。

アイムノットゼアという映画をみた。

ボブディランをモチーフとしているようだが、数人の年齢の違う俳優がそれぞれにボブディランにもとずくストーリーをまったく関連なく完全にパラレルに進行するのだが、なんとなく脳裏にはボブディランという人物がイメージされてくる。大事なことは視聴者にとってそれぞれのボブディランのイメージの捕らえ方や現れ方がそれぞれ違うこと。イメージの誘発装置としての映画だ。

あるストーリーに基づくとか、ドキュメントのように時系列にそって描くとかとはまったく違うが、これは視聴者自身がボブディランに対してフレキシブルな感情やイメージを作り出すひとつの見せかた、デザインである。

身近にはまだまだデザインをするための余地はたくさんありそうだ。