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普通のこと

あるクライアントとの打合せは、計画についてのことが全体の10分1くらいで、その他はすべて雑談と飲み会と笑い話で終了する。

氏いわく、計画についてはもはや各論である。問題は自分自身、その先に自分が欲している建築のことを知ってもらうことが大事であると。そしてクライアントにとっては僕自身がどのような志向で計画を捕らえているかがもっとも重要であるということ。計画の内容は一任しているのだから、後は頼む・・・ということだそうだ。

初期のプレゼンの際にも、僕は、建築の合理性や耐久性、機能性について先鋭的に説明をしていた。

しかし、氏は途中で突然僕の言葉をさえぎり、一言・・・、合理性、耐久性、機能性・・、と建築を説明する必要はない。建築家の君に頼んでいるのだから、それはできていて当たり前でしょ・・・。いかに面白く、かっこよく、そして美しいかを伝えてほしい・・・ 。との事。

困った僕は、模型を見つめて一言、ご覧の通りです。と伝えたところ、了解、これで行こうと言われた。

今まで経験した我々の最短の伝説的プレゼンであった。

後日、仕事の進捗状態の報告の後の飲み会で、あれこれ話が込み入っている中で、つい僕の発した、普通が難しい・・・という言葉に氏が一言。普通ができなくてどうする。普通のこともできないようなら仕事を変えろとのこと・・・。あいもかわらず激しい・・・。

僕は確かに普通は最も難しいと考えている。どんな特殊な状況や条件でも普通に見えるように、いかにもがんばっていますというようなジェスチャーのあるデザインをを可能な限り排してゆきたいと考えている。・・・つもり。そして、僕自身の物事の判断基準も普通であるということが一つの指針である。だから、時に普通であることが最も難しいのだ。だから何気なくそんな言葉を発してしまった。

が、氏が考えるには普通であるかどうかなどではなく、当たり前のことを当たり前のように粛々と積み重ね、勝負は違うところでしなさい。と。

つまり正々堂々と美しさについて議論しなさいということ、であった。

確かに僕は、美しさの基準とは人それぞれ違うからというあまり、話題には出さないことが多い。もちろん提案の内容や建築の美しさについてぎりぎりまで、そして最も高いプライオリティで美しさについて考えている。ではあるが、プレゼンではどうもそれを前面に言葉にすることはない。自信がないわけではないが、氏はそこが不満だったようだ。

ここで思い出したのが、異性の魅力について二つの側面がある、ということ。

一つは誰が見ても美しかったり、スタイルがよかったり、運動能力が優れていたりというような一般的な魅力。

もう一つは、例えば丸い顔が好きだったり細長い顔が好きだったり、グラマーな人がよかったり、細かったり、太めだったりと個人により魅力の判断が分かれる魅力。

それぞれ両方とも自身の遺伝子が欲しているものではあるが、前者は遺伝的に他者より優良な子孫を残したいという遺伝子のプログラムによるということ。そして、後者は自分の遺伝子との組み合わせにより、よりよい子孫が残せるという、それぞれ自身の遺伝子のプログラムによるとこであろうかと思う。

僕自身のプレゼンがこの後者に関る、施主自身のとって・・・という個人的なところ、つまり施主自身との組み合わせばかりで、氏には物足りなかったのだということだ。大事なことはそれだけではない。美しさや、街や、風景や、もっと大きな枠組みや価値観の中での施主の建築について議論したいということであったということ。

単純な僕は、次回はもっと美しさやカッコよさについてを前面に出してプレゼンしようかと思っている。