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リアルとフィクション

黒澤監督の映画での殺陣シーンでは人が斬られると”バサッ”って音がする。
その音がとてもリアルで画面のアクセントにもなっているように思う。ただ、実際そんな音がするわけがない。いかんせん刀で鋼鉄の甲冑相手だ。

刀で人を切る事をイメージすると、斬るというよりは殴る、叩く、もちろん肉は切れるだろうが致命傷にはならない・・・。打撲とか骨折という感じだろう。
実際合戦の跡地での人骨を見ると骨折が多いようだときいたことがある。

ただ、この効果音が実際的かどうかということではなくて、この音によって人を斬るというイメージがより強烈になる。それは間違いない。つまりはリアリティをフィクションにて補完、補強するということだ。、もっといえばリアリティはフィクションによって気が付かされるということかもしれない。つまりは”自然は芸術を模倣する・・・”オスカーワイルドといったところだろうか。

ということで僕はといえば、ピクチュアウィンドウをつくる。これは都心の住宅地の窓だが、隣地の豊かな緑を切り取り寝室に取り込んでいる。

picturewindow.jpg

景色というリアリティをよりリアルに切り取るために、実際の風景をデフォルメするようなフィクションとしての窓、フィクションとかリアリティを行ったりきたりするようなそれぞれが互いに補完するようなそんなことを考えている。(ゴダールのアルファビルという映画はご存知ですか?)

実際ドキュメンタリー映像だって、そのテーマに都合が良いところだけを切り貼りして、あたかもリアルを伝えてはいるようではあるが・・・、そこには濃密な製作者の作為が垣間見え、いまではドキュメンタリーとつくほうがとても胡散臭い。そんなことは昨今の報道により、より鮮明になっている気がする。もはやリアルなものなど自身で発見するないのだ。

建築も住まいてにとってのリアルな何かを建築を通じて何か提示できればと思っている。

村上隆の村上モノグラムはブランドと商業にアートを媒介としてその節断面を提示するということで単なる商業主義ではないなにかをみせることに挑戦している。

タレルの天窓は空を切り取ることによりより空の深さとか濃淡をリアルに見せる。

アートってもっと身近だし、自身の空間にもアートといえるようなリアルな物語を埋め込めたらと思っている。