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カツどんについて

最近、ダイエットをしています。

おかげで大好物のカツどんのことをよく考えています。

カツどんの素晴らしさはまずたんぱく質と炭水化物のシンプルなバランスが絶妙ということでしょうか・・・。絶妙なバランスは音楽や詩歌のように美学でもあります。僕自身、オーケストラやビックバンドよりは少人数による音楽、バッハの無伴奏チェロ曲やモーツワルトのピアノソナタのようなシンプルな音楽を好む嗜好も影響しているのかもしれません。(まあカツどんはソロというよりはデュオですが・・・)

そしてカツと白米というそれぞれ独立していたはずの食材が一つのどんぶりの中でいかに融合するか・・・。これは人間関係にも似ていますね。独立と強調です。国や宗教によりもたらせられる人類の最大のテーマでもあります。

カツどんの要はやはりとじ卵です。(北陸のほうではソースカツどんがありますが、これはこれで素晴らしくうまいのですが、こちらはまた次回。)
米粒とカツがとじ卵を媒介として一つの食感にダイナミックに統合され・・・それでいて、とじ卵に負けないような固めの米粒とさくさくの食感のカツの衣の独立性は保たれる・・・。とじ卵はそれぞれの食材をダイナミックに仕上げる媒介なのでしょう。それぞれの個性を互いに生かしあう共生の思想です。

とじ卵の介入によりカツどんを食する作法、つまり一気呵成にかきこむという食べ方を可能にしています。卵の滑らかさと同時にご飯とカツととじ卵の温度の関係が最も大事です。どちらかが熱くてもぬるくてもだめです。卵の緩さも大事です。良い(美味な)カツどんはこのあたりの設計が完璧です。

カツどんを食べるときには、何も考えてはいけません。ただ一気にほおばるのみです。ここは機能性(使いやすさ)とでも言いましょうか・・・。

日々設計作業において機能性ということにはことさら敏感だし、機能性という言葉の裏にある画一化された価値観は常に疑い、それを免罪符にしたかのような設計は好みではないと思っていますが、それでも感嘆せざるをえない完成度の機能性を経験できます。

もう一つは純白の白米を卵とカツで汚して食べる・・・、これは深層心理に埋め込まれている(はず)の人本来のサディズムの感覚を呼び起こすのでしょう。日常的な生活の中にもこんな感覚の行為が潜在していることに驚きます。

人類のテーマからから本能、煩悩までを一気に通観する奥の深い食べ物です。