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誰かのために、自分のために・・・

ここ数ヶ月間お手伝いをしていた雑貨のセレクトショップのオープニングパーティに参加してきました。

今までその会社の店舗をいくつか継続的にかかわってきてはいるのですが・・・、今回はカフェも併設ということでオーナー氏にとって新しい世界観の提示が最も大事なテーマでした、僕にとってはいつもの通り楽しい時間でした。

そしてその他のどの仕事もそうですが、色々と僕の引き出しを増やさせていただきました。

そんな中今回、特に素晴らしいできごとがありました。

ひとつ目

最近、携帯でもPCでも車でも何でもかんでも小さくてコンパクトな商品が好まれ選択されてきています。

それでも僕は・・・、今では”箱物”なんて言われてしまうような”建築”、つまり前近代的な重厚長大産業に嬉々としてくみする土建屋の端くれですから、でかくて重たい物が大好きなメガロマニアです。

それはそんな僕を勇気付けてくれる素敵な出会です。そいつはコーヒーマシンです。”でかければでかいほど”、そして”高価であれば高価であるほど”おいしいコーヒーが造れるという僕の15年来の定理をさらに確信のレベルにまで昇華させてくれました。

このカフェにはイタリアの名機、マルゾッコのマシンがカフェの正面に鎮座ましましております。このマシーンからほとばしる褐色の聖水と香りはまさに神がかりといえるほどおいしいです。僕もコーヒー好きとして海外も含めて様々なカフェをうろうろとしてきましたが、カフェの本質はもちろん空間やサービスだったりするわけですが、それよりまして僕にとってマシーンの製造元や具合、そしてでかさが最も大事だったりします。

自身のかかわる空間でははじめてのコーヒーメーカーの導入ですが、このマシーンを選んだ施主は素晴らしい。ちなみにこのマシーン、車が一台買えるほどの値段です。

ということで是非、一度ご賞味あれ。

 その2

最近ブログが遅いですね・・・、ってそのお店のスタッフに言われてしまいました。

その通り!!!、僕はこのブログが誰に読まれているのか、そもそも読まれているのかどうかさえわからない五里霧中に書いています、そう、それはもはやなんの見返りも期待していない、期待してはいけない修行僧の営みと同様、ある種高尚さを持っていると自分では思っています。

だから残念ながら当然の帰結として正直、飽きてきます。

そんな中、励ましともいえる唐突なその一言で、ただいま午前3時、必死でブログを書いています。その彼、かなりの美男子であります。残念ながら僕はゲイではないのですが、抱きしめてやろうかと思いました。

誰かに期待して待ってもらっているというのはこの上ないモチベーションの向上になるのは、僕にとって確かです。

閑話休題。

彼との話で、建築設計者はアーティストではない。そのように考える人もいるとは思うが・・・、何故違うのか?という話をしてきました。

僕が思うに、建築設計者は施主に最初に報酬を頂いてその人のために建築設計を行う。
翻ってアーティストはとりあえず自腹で自身の作品を作りそれをマーケットに乗せるなり、第3者に売る。ここの違いは大きい。彫刻家は自身で石を買い、日本画家は自身で絵の具を買います。

ちなみにその美男はその店の雑貨などもデザインし商品化まで手掛けるプロダクトデザイナーであります。そして、あらゆる経済的なリスクも含めて自身の作品を作り上げる、そう君こそはアーティストだというはなしを力説してきました。ちなみに建築設計とはサービス業だと思います・・・、と。

そんな話の途中、ちょうど傍らにいた別のスタッフが話に混ざってきた。こちらは女性だがこちらもかなり美しい。
(何度も申し上げている通り、僕の依頼主の女性陣はかなり美人ぞろいである。否、美人しかいない。だから、僕は美人を前にしてもそうそう惑わされない強靭なメンタル、否、免疫を持ち合わせてはいるつもり・・・ではある。)定ではありませんが・・・そんな彼女も僕のブログをよんでくれているようでした。

彼女が、ある小説の”君にためにドカタたをしてきたよ”ってせりふが彼女の心の中で広がりを持っていると言っていました。ドカタがどうとかではないが、誰かのために何かをするという行為、自分のために誰かがしてくれる行為、それが愛情につながるということは何よりの幸福であると思う。ということだ・・・、まあ、彼女のためならドカタどころか・・・・、と思う男はいくらでも・・・、とは思うがこれ以上の発言はセクハラになるのでやめました。ちなみに彼女は僕と同じ戌年ときいて自身の年齢を深く噛締めました。

閑話休題02

僕にとってのあこがれの仕事はロックンローラーである。ずっと昔ピアニストって書いた記憶もあるが・・・、そんなことはどうでも良い、何故ロックンローラーか?

それは

”僕は君のために作ったこの曲をプレゼントするよ”って傍らの女性の耳元でささやくというのが僕の生涯の夢だからである。

残念ながら他人に自身の歌を聞かせたいなどとは思えないしどだい無理である。それでも何とかしてこのせりふを人生一度でも使ってみたいと熱望している。だから僕はロックンローラーにあこがれるのである。

翻って、僕は建築家である。傍らの美女のために建築をつくることはできない。それはどこまでも施主自身のものであるから。当然ではあるが。ということで、ロックンローラーやアーティストにあこがれるのは以上の理由からで、それ以上でもそれ以下でもない。

20才台の頃は自分のために仕事をし、そして建築を設計してきた。まだまだ社会的に未熟だったと思う。
そして、現在僕にとっての建築設計とは、依頼主にとって必要な建築をつくる、そして建築とは依頼主にとっての社会との接点となるインターフェイスだと思っている。それはつまり、単純に依頼主の要望だけでなく潜在的な必要性までをもひっくるめて現実的物理的な建築としてたて上げることが我々の営みであるということである。そう、何が書きたいのかというと建築家とはどこまでも依頼主のため、そして近隣環境のために必要であるうことです。つまりはロックンローラーでもなければアーティストでもないということ。当たり前ですが・・・。

という話をしてきました。

帰りの車中で、僕は一人のアーティストを思い出しました。

彼は仲の良い建売住宅業者です。氏とは仕事をしたことはありませんが、彼は自身で土地を探し購入し、時に銀行と格闘し、自腹でそこに建売住宅を建て、そしてそれを広告、販売し、売り上げを上げる。つまり、先ほどの僕の定義によれば彼こそアーティストです。

彼は自身ですべてのリスクを背負いながら建築をする・・・、ということで、つまり、僕も傍らの女性の耳元でささやきたければ最強の建売住宅を造るしかない・・・。

何の話かよくわかりませんが、無理にブログを書くと、こんな感じになってしまうことだけはわかりました。