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妄想力

先日、どうしても時間が空いてしまったので日当たり良い南向きの丘の上で昼寝をしてきた。お供は伊坂幸太郎氏の新刊・・・。季節、天候とも申し分ない快適な時間であった。この丘は、いつも電車の車窓から眺めている近くて遠い僕にとっては秘密の花園のような存在であった。快適な一人セレブの時間である はずだった・・。

途中で僕はとんでもない過ちを犯してしまったことに気が付いて、そそくさと後悔とともに帰路についた。これは僕自身決してしてはならない行為、僕にとって心理的犯罪行為であったし、そう自分に戒めてきたからだ。なれないことはするものではない・・・。なぜなら・・・。

僕自身の設計のイメージの源泉はこんなたわいもない行為やシチュエーション、イベントを自身で想像することによって設計案を作っている。だからその行為を一度自身が体験してしまうとそのイメージが固定化されてしまうからである。もうそのイメージは使えない・・・。丘の上は快適ではあったが僕にとってのその行為はそれ以上ではなくなってしまった。

ロンドンに初めて到着したとき、真っ先にアビーロードを訪れた。が、例の場所は全う至極に”ただ”の横断歩道だった。確かにアルバムの写真の通りだが、僕のイメージの中で築いていたアビーロードの素敵さが崩壊していく・・・、気を取り直して次にベーカーストリートへ向かった。当然ながらホームズはいなかった。若干期待はしていたが・・・それはまあしょうがない、了解していたとはいえ、こちらも全うに”ただ”の通りであった。

僕はアビーロードやベーカーストリートを責めることなく・・・、ただ自身の軽率な行動をうらむことにした。つまり具体性を求めてはいけない。イメージはイメージだ。高1の頃、南野陽子だって恋愛するしトイレにだって行くって現実に気が付き納得をしたではないか。そのときひたすらイメージに耽溺し、現実には触れないと誓ったではないか。僕のイメージの中のアンタッチャブルな領域には決して近寄らないと決めていたではないか・・・。

建築のイメージの源泉は、まづはあることを妄想することから始まる・・・例えばオープンカーに乗って高速道路を150キロで滑走すること・・・。バオバブの木の下で推理小説を読みながら土のにおいを感じたり・・・、ヨットで最強に冷えたシャンパンを飲む・・・、ツリーハウスで草の匂いをかぎながらDSをしたり・・・、テントの中でトランプしながら一晩過ごしたり・・・、秘密基地でデートをすること・・・・、神社の大きな階段とケヤキの木下で寝てみたり・・・、そんなことを自身の妄想力で設計案に反映させるべく、日々妄想している。否、この行為自体を空間に翻訳することが設計行為だったりもする。 凡俗だといわれても、そんな行為やシチュエーションの応用に空間の快適性があったりするのではと思っている。

まあ、例えば僕の妄想の中でのオープンカーはポルシェ911カブリオだったりするから、経済的に困難ゆえに残念ながら意思とは関係なく実現不可、つまりは僕の妄想の妨げにはならない。バオバブに木はマダガスカル島にしかないし・・、ツリーハウスにいたっては事もあろうに僕は高所恐怖症だからたぶんないだろう・・・。ヨットは船酔いがきついくて1時間と乗っていられないし、デートの相手はそもそもいない・・・。

大丈夫だ。まだまだイメージは汚されていない、膨らんでくる。

ということで、その他の妄想は実現性がないため支障がなさそうで一安心。まあ、実現しないから妄想できるということだ。

先日、世話になっている施主が言っていた。仕事とは妄想することだ・・・、と。仕事相手にいかに自身を売るか、自身がいかに必要かということを知らせるために幾通りものストーリーを妄想すると・・・。自身の事業の展開を常に妄想すること。僕自身も氏の仕事ぶりを垣間見たが、眼を血走らせながら、本気で妄想する鬼気迫るものであった。近寄りたくはない・・・というか近寄れない。

ある人が言っていた。体に震えが来るまで妄想するんだと・・・。日々眠れず、見ず知らずの人と雀荘で刺激的なマージャンを打たない限りは眠れないと・・・。刺激的な麻雀とはどんな物なんだろうか・・・。

もはやここまで来ると妄想ではなく狂気ですらある。彼らにとって妄想を現実にシンクロさせる事が仕事という行為なのだろう。今まで、色々な人と仕事を通じてお世話になってきたが、とりわけイメージ力の発達した人が多いきがする。もしかしたら生命力とイメージ力、妄想力は比例関係にあるのかもしれない。生命力と建築力は相関関係にあることは間違いない。建築力は生命力のバロメーターだ。つまり建築とは未来の生命を担保する物でもあるからだ。

ただ、必要条件としてで、充分条件ではないのだろうけど。彼らにとって施主として建築をつくるということは自身のイメージの一部でもあるのかもしれない。

翻って、僕の妄想といえば、南向きの丘と北向きの丘ではどちらが気持ちよいんだろうとか・・・、ケヤキの木下と銀杏の木下ではどちらが読書にむいているのだろうとか・・・、裸で波乗りしたらどんなに気持ちいいんだろうとか・・・、ずいぶんと牧歌的で種類は違いそうだ。

それでも胸を張って僕の仕事はイメージをすることである。彼らに負けないくらいのエネルギーで西向きの窓の素晴らしさを妄想しそれを最上の空間として建築してみたい。と妄想してみよう。