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あるプレゼンで・・・

私は設計案の提案の際には、常に数百通りのバリエーションを考えます。
確かに、プランやライフスタイルは住まう方の動機によるところは多いかと思いますが、私は、プランの必然性や合理性はその土地の個性や方角、それにともなう風の流れと採光、景色や隣家の状況、これらの外的環境の諸条件によりほぼ50%は決まってくると思っています。つまりは敷地を使い倒すという発想です。

そして残りの30%は住まいての予想を超える、住んで見なけりゃわからないという未来への期待の創造です。 ここをデザインとでも言いましょうか・・・。
だって住む人にとって理解できる範囲のことだけだったら設計費用を支払ってまで家作りをする必要はないでしょう。だから、わからない部分があってよいのです。住みながら自身でデベロップしてゆくほうが、未来が楽しくなるのではないでしょうか?
 

こんな使い方もあったね、って10年後に思えるような感じが理想でもあります。
さらに20年後”芦屋さんナイス!!!”って思ってもらえたら素敵なことです。

まあ、えらそうなことはいえませんが、私にはその未来は見えます。なぜなら僕はいく千ものプランを見て検証し、そしてそこに棲む生活というのを自分なりにシュミレーションしてきたからです。もうかれこれ20年、ほぼ毎日続けてきています。だからというわけではありませんが、僕にはわかります。(まあ、これくらい自意識過剰でないと、設計料を頂いた上でここに住んでください!などという不埒な生業は継続不可能です。言うならばこの言語道断こそがこの生業の存在意義でもあるのです。)
 

残りの20%は住まいてにも私にもわからない世界です。私の設計の作業はこの部分にかけているのです。無責任かもしれませんが、私にとっても施主にとってもできてみなけりゃわからない・・・、というところです。
そんなところがあってもよいと思います。そしてそこが”価値”に変容してゆくのです。価値は、時にチャームポイントになったりします。あばたもえくぼになったりもします。ニキビだって青春のシンボルだったしますが、一つ間違えれば単なる腫瘍です。つまりは欠点とか長所を超越した物です。つまりは例えば愛着です。良いとか悪いとかの次元ではないのです。そんなこともこれから何十年と生活を共にする住まいには大事なところです。

本質的に住まいは住まいてが作るものです。だからこんな20%の???が大事なのです。
そしてそれがいつの日にか!!!になることが大事なのです。

それと・・・、ある種の人たちの自発的環境最適化能力というのは過信してもしすぎることはないと思っています。どんなところでもその空間に愛情さえあればそれなりに楽しく快適な生活をできるのではと思っています。そこで大事なのは機能性、使いやすさではありません。愛情です。愛着とも言います。皆様は間違いなくある種の人たちです。それもほぼ天才的かつ本能的に・・・大丈夫です。

ちなみに私の座右の銘は”住めば都”です。私はこの言葉の本質は事もあろうに以前お世話になった施主に教えていただきました。素晴らしい人です。

私はこの言葉がこの世に存在することと、私を生んでくれた母親に日々感謝しています。

たまに、家は3度建てなきゃね・・・、なんていう人がいますが、それは自身の想像力のなさなげくほうがよほどよい、とおもって聞いています。
ということで、あまり考えすぎないように・・・、まあ使えるかな・・・という感じでよいのではないでしょうか?。あとは住みながら考えようという感じで、すべてをコントロールしきらないほうが良いと思いませんか。そうしないとかえって伸びしろがなくなってしまいます。シンプルな思考のベクトルが未来を担保するのです。
 
ミステリアスな感じって大事ですよね。
杓子定規で原則的な振る舞いしかしない人ってつまらないですよね。
それよりは末永くドキドキワクワク、イマジネーションをフル稼働して・・・そんな感じです。

ということで、いかがでしょうか?無責任に聞こえないことを祈りつつ、この設計の依頼がキャンセルにならないことを祈りつつ・・・そしてプランは自信を持って提示していますことをここに高らかに宣言させていただきます。

よく最後まで読んでいただけました。感謝します。

自分自身の態度のでかさと独善性には常に自身で辟易としています。きっと皆様もそう思っているかもしれません。間違いないのは僕の2親等以内は確実にそう思っています。なぜなら面と向かって日々念仏のように言われているからです。が、それでも改善できません。悲しいことです。
それでも、もし可能であるのなら皆様に住まいを通じて少しでも幸福のお手伝いさせていただきたいと思っているのです。建築の可能性と住まうことによる幸福を信じているのです。
今後ともよろしくお願いします。