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コンペ

勤務していたころ、事務所は来る日も来る日も国内外を問わず様々な設計コンペを戦っていた。

実際受注する設計のほぼすべてはコンペでものにした仕事だったといっても良い。コンペで勝利することがすなわち事務所を維持するということの同義であった。

ある時期、事務所は某アジア国の国際空港のコンペに参加していた。空港の規模はアジアで最大級であり、アジアのハブ空港を目指すといった大きな志を持った計画だ。師はこのコンペを勝利するために、あらゆる困難と犠牲をお前たちに課す、と高らかに僕らに宣言し、そして青山の事務所の下の階に、ワンフロアーをぶち抜きで借りてきた。

模型は、約20m角のサイズはあったように思う。他にも背の高さ以上の部分模型、黒板みたいなサイズのコンピュータグラフィック・・・。あらゆるプレゼンの武器がまさに湯水のように膨大な量で作りこまれていった。そして気迫に満ち満ちた師の背中に吸い込まれるように事務所のすべてのスタッフがそのプレゼンの製作に引き込まれていった。

今だからいえるが、当時のその時期の事務所の機能は完全に麻痺していたといっても良い。当然、進行中のプロジェクト、現場も多々あったのにもかかわらず、だ。師はひたすら、そのフロアーの真ん中に陣取り、あらゆる指示をそこから発し、自分もプレゼンの準備にいそしんでいた。

苦労の甲斐があって、そのコンペは勝利することができた。実際本当に苦労するのは、設計が始まってからなのだが・・・。どちらにしてもその空港はほぼ師のイメージどおり完成し、今では重要なアジアの玄関の一つになっている。

当時、師は60を少しばかり過ぎたころではあったが、僕は衝撃とともに、同時に建築するということはいかに神聖であり同時に困難なのだとあらゆる洗礼を受けたことを覚えている。今でも僕は、師とは作る建築の規模や予算は違えど、建築することに対する思いや情熱だけはいつも胸を張って彼と対峙できているよう心がけている。