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チタニウムの塔

この数年、仕事でのコミュニケーションはメール、図面はPDFにて提示するということが非常に多い。情報を共有化でき、スピードが増す。

神話によると、モーゼの十戒において、人類はある共通の言語を持つと悪事を働くとして言葉をいくつかに分けたそうである。それにより人は世界の大きさを知り、また自国、文化を愛することを知り、また経済の発展についてもある程度の負荷、コンフリクトを与えられることにより緩やかに進化してきた。

事実、世界の共通語として一時もてはやされたというエスペラント語もその後まったく発展してはいないらしい・・・。そんなことを考えるとスムースなコミュニケーションもよし悪しだと思わされる・・・。

とはいえ、コンピューターの発展に伴って建築による可能性も大きく広がった。デザインは複合的、複雑な形状を可能にし、構造においては超高層ビルに見られるような建築技術、とかく重力や地震、風力をより精密に解析することができるようになりほんの数年前には考えられなかったような構造技術が進んでいる。、設備においては熱効率やエネルギーの省力化を計る様々なシュミレーションを可能にし、可視不可視を問わず我々に快適な空間を提供している。

僕の好きな建築に水戸市芸術館という磯崎新さんの設計による建築がある。学生時代に何度も訪れた建築だ、そこには無限柱なるとてつもない塔がそびえている。複雑にスパイラルしながらチタニウム合金製の塔が水戸の空に突き刺さっているなんともたまらないアナーキーな、そしてとてつもないエネルギーを放出する建築である。これを設計し、そして施工した人は一体・・・。

竣工したとき僕はちょうど学生を終了して少ししたころであったか・・・。当時、設計者達はこの複雑な形状を紙と鉛筆と計算機で設計したことであろう事を想像し、僕にとってこの塔には後光が射して見えた。そして今でもその執念のようなものが物理的な形態から発散されている。

実際現代のコンピューターを用いれば・・・。そう考えると、今の建築は・・・何か大切な物を忘れてしまって・・・、などと思いたくもなる。

しかし、それは決して正しくない。建築をするという気持ちがやはり最後は決め手となって建築を建築たらしめるのだ。

現在でも金沢の美術館、仙台の図書館など、コンピューター無しには決して可能にはならない、しかしそれでも恐ろしいまでの執念の果てのような建築が、いとも軽やかな姿を見せている。

ということで、コンピューターがいかに発展しようとも、何かを乗り越えるのは、建築をするということは設計者、施工者の気持ちの問題であるのだと、最後はその建築に携わる人たちの情熱なのだと思う。

昔事務所にあった青焼き機の匂いや消しゴムのカスを思い出しながら、図面をメールで送信した。