Blog

不況とローカルと内向きの視線

100年に一度の不況だそうだ。

そして、最近知った事だが、この数年間の景気はかなり良かったらしい・・・。残念ながら、数年間続く好景気はまったく知らないうちに過ぎ去ってしまったようだ。そして、幸いにも今の不況も、今のところ未だ具体的に感じてはいない。

バブルの崩壊したあと就職した僕にとって、未だ世の中の大きな流れというものを肌で感じたことはない・・・。

常に手持ちの仕事は増えすぎてもこまるし、なくても困る。
仕事が増えすぎてあたふたするようなことに陥いり、一つ一つの仕事の精度を保つことが困難になってはいけないし、実際、制御しすぎているので、仕事がなくなることもない・・・あくまでも今のところ・・・ではあるが。

常に一定。

VIVA平常。

忙しすぎてもいけないし、仕事がなくて困窮してもいけないし・・・、常に最良の提案と実務、クライアントの依頼を実行するために僕ら自身のコントロールが可能な、唯一の防御手段は仕事量をコントロールすることだ。

我々の仕事は常に見える範囲、目の前のクライアントに対してのみ成立する。だから逆に言えば今よりよくなることもないし、悪くなることもない。良しにつけ悪しにつけ・・・。

そう、僕らの仕事は何せ内向き、国内どころか地域も限定されている。グローバルと言う言葉は昔から理解不能だし。ローカルだからこそ、世界レベルにまで応用されることが可能な・・・、個別的な特殊性の中にこそ普遍なものがあると思っているから。

20年以上前・・・未だ学生の頃に読んだ、磯崎新の文の受け売りだが・・・、

奈良時代において・・・、百済新羅からの攻撃とともに多くの当時の大陸文化が日本に流入した。例えば奈良の法隆寺などに見られるものである。

そしてそれらは次世代の平安藤原時代へ時が流れてゆくにつれ、”ひらがな”や源氏物語、寝殿造りの様なきわめて繊細な日本独自の文化に変容してゆく。法隆寺の大伽藍はやはりどうしても日本独自の感覚では異物感・・・ではある。

時が流れ室町時代の初期・・・、勘合貿易などにより当時の中国、明の文化が流入、その後京都での応仁の乱を境に、またしても書院造やワビサビの世界へとこれまた日本独自の文化に変容してゆく。
京都の銀閣寺に始まる数奇屋建築、能や狂言、華道や茶道などもこの時代に日本独自のものとして発達してきたオリジナルな文化である。織部や利休もこの時代である。

このまま江戸時代・・・、鎖国に入り、浮世絵などに代表される成熟した文化が形成されてゆく。華道や茶道、柔道剣道などのようにひとつの体系、形式化、いわゆる求道的な先端の尖った形式の世界もひとつの日本文化の特徴だ。

実際、室町時代の京都の建築や江戸時代の絵画はとても美しい・・・。

その後は明治期に開国して現在に至るわけだが・・・、大まかに見て、海外からの異文化の流入と、そしてそれら異文化をベースた内向きの視線、日本独特の繊細さや優美さを追求した日本独自のソフィストケーとされた文化への変容という、流入と変容のサイクルを繰り返している。

記憶が定かではないが大まかこんな感じだったように覚えている。

明治以降、圧倒的に流入してきた海外の文化、そしてそれを内向きの視線で日本独自の文化にまで昇華させる時代が来たのではないだろうか。いや、既にこの数十年、その兆候は始まっているのかもしれない。電気関係自動車関係などなどの製造業を見る限りそのように感じる。

ということで、歴史的に見て、この不況により強要される、内向きの視線・・・、

大きなマーケットやグローバルに拡大する資本による発展より、精度や独自性を追及するこの時代、またローカル(日本も世界で見ればローカル=地方のひとつ)の時代はなんとも日本的で素敵、可能性を感じるではないか。

日本人の繊細な美的感覚と精神性、器用さと求道精神がこれからの僕らの武器である。